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庵治石の歴史
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古代から使われていた「庵治石」
庵治石(讃岐石)の歴史は古く、平安時代に京都で石材が大量に使用されたときすでに庵治石が使用されていました。
京都の石清水八幡宮の「建武回禄記(当時の再興の記録等が記されている古文書)」によると「1339年8月に宝殿・弊殿・拝殿の再興にあたり、 石の種類で三十種余り、その数五千十七個の切石が据え付けられたが、その石は先例に任せて讃岐国鴨部庄から運んだ」と記されています。
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「鴨部の庄」は現在の「さぬき市志度」に位置し、鴨庄湾と小田湾の境界をなす南北2.5キロの細長い半島を「大串半島」と呼びます。
古代に白粉石の採掘がされ、石切り場跡が見られます(白粉石は火山帯により繋がっている、庵治・牟礼でも確認できている)。 この採石場の石は他の地方のものより上質で、近畿地方の社寺、墳墓等に多く使用されていました。
このように庵治石は平安時代末期から南北朝、室町時代にかけて現在の仁尾町、さぬき市鴨部、牟礼町一帯が京都男山の石清水八幡の荘園であったとされていることから、平安時代後期または石清水八幡宮が造営された頃から採石使用され、庵治石の歴史は1000年も以前から遠く京都まで送り使用されていたと思われます。
しかし、この頃の石は今のような硬い花崗岩ではなく、比較的浅い所にあった岩盤から離れている浮石が多く採石されていました。
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庵治石の「庵治」は港の名前?
庵治石が本格的に採石されて使われ始めたのは、天正時代(1573年以降)に入り大阪城や高松城築城の頃よりといわれていますが、当時の採石方法は人力による運搬で非常に困難であった、一説によるとその頃の丁場は海岸の付近で筏(いかだ)で運ばれていたと言われています。
その当時の庵治石は花崗岩ではなく、安山岩等が多かったと思われるが、庵治の港から運んだ為「庵治石」と言われていました。
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屋島東照宮にも使われている!
この地域での庵治石製品加工の始まりは1814年(文化11年)讃岐藩松平家八代目松平頼義が徳川家康を祀る為に総工費14万両を費やした「屋島東照宮」造営の頃と言われています。 それまでも石工はいましたが従来の在住の石工だけでは人手が足らず、和泉の国より高度は技術を持つ石工が招集され工事が行われました。
屋島東照宮の石工事は1年ほどで終わったと言われることから相当腕のいい石工だったのでしょう現在も本殿に続く長く高い石段と石垣、玉垣は今も当時のままの姿を残しています。 任務を終えた石工達はその付近にそのまま住み付き、庵治町、牟礼町で石材業を始めました。
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色々な所に使われている「庵治石」
この頃より明治時代くらいまでが今の庵治石発展の基礎となりました。
庵治石は長年の風化に強いということは知られており、その後の明治中期には東京や大阪の電車のレールの敷き板として使われていました。 それからは旧香川庁舎の建築や1894年には東京の皇居のご造営、また1914年に完成した神戸の須磨離宮造営、1913年頃に工事をした京都の伏見桃山陵にも多くの庵治石が使用され阪神方面から全国的に庵治石の名を高めました。
大正から戦前の昭和は庵治石の発展の時代で次第に採石と加工が分業化され花崗岩の中でも特に硬く、きめ細やかな石肌で磨けば磨くほど優美な光沢を放つ庵治石を採石から製品化する技術と技能は長い歴史の中で発展しその時代の職人に受け継がれ全国に広められてきました。 天下の銘石「庵治石」は数百年もの間、その時代の歴史と共に歩み、その名を残し今なお発展し続けています。
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